自己紹介

はじめまして!当ブログを運営している”なつき”といいます。

ズボラ街道まっしぐらのアラフォーパート主婦です。
このブログは、私がゼロからスクールで、WEBマーケティングを学ぶ過程を発信しています。

目標は、在宅ワークで1年後に月収10万円。
2年後に月収20万円を達成すること
です。

・学歴もスキルもないオバサンにそんなことができるのか?
・家事や子育て、仕事の忙しい生活の中、目標が達成できるのか?

私はできると思います。
というか、やります。
守るべき大切なひとたちがいるからです。

なぜ、普通の主婦がWEBマーケティングを学ぼうと思ったのか?
経緯ときっかけを含めた、自己紹介をさせてください。

基本情報

・名前…なつき
生年月日…1985年7月
血液型…A型
出身…北海道
職業…経理事務のパート
趣味…料理・ビール・マンガ・おでかけ・YouTube
性格…外ではマジメ風。家ではグータラ。
家族…夫、娘ふたり(小4と小2)

幼少期-中学生:さみしいけど私にまかせとけ

わたしは某観光地で幼少期を過ごしました。
おとなしい父・真面目な母・2つ下の弟の4人家族。


両親は、私たちが小さい頃からホテル業界で共働きをしていました。
幼稚園のお迎えにきて、私たちを家に置いてまた仕事にいってたという…。
(今じゃ考えられない…)


社宅暮らしだったので、小学校に入学してからは同じ年ごろのお友達と日が暮れるまで遊ぶ毎日。

暗くなり、家に帰っても、母はまだ仕事。
夜になっても弟とふたりきり。
にぎやかな空間からの、弟とふたりだけの静かな家。

「おかあさん、あと何分でかえってくるかな…」
さみしさと不安でいっぱいの弟との留守番の日々でした。

「おかえり」とお母さんが迎えてくれるお友達の家がうらやましかったです。
また、うちは両親がこんなに働いているのに、洋服やランドセル、机など、おさがりばかりでした。
子供ながらに「うちは貧乏なんだな…」と感じてました。

母が帰ってくると、まず幼い弟が母に甘えます。
先に甘えられてしまうと、私は上手に甘えることができません。

また、仕事で疲れている母を見ると「さみしい」とも口に出せず…。
自分の気持ちを内に秘める子どもになっていきます。

甘えるのは苦手でしたが、頼られるのは好きでした。
人の役に立つことで、自分の存在を認められているような気がしたからです。
幼少期は、さみしかった半面、自己解決力や家事力や料理力がメキメキあがっていきました!なんでも自分でできるようになるのはワクワクしました。

過疎化がすすむ町でしたので幼稚園・小中学校までは、同じメンバー。
少ないクラスメイトと毎日を過ごします。


女子が3人いたら、絶対あまるタイプ。
特定の中の良い子もおらず、いわゆるぼっち系女子。
悪口だけは言わないというポリシーはもっていました。

成績も中の中。運動も中の中。
つまらない少女時代。

唯一の楽しみは、テレビを見ること♡
うたばん、歌の大辞典、アサヤン…
音楽番組が大好きでした。

中学生になっても、相変わらずサービス業で忙しい両親。
仕事のストレスで両親の雰囲気は悪く、いつも散らかっている家。
心やすらぐ家ではありませんでした。
キレイなおうちで両親がニコニコしている家庭にあこがれを抱きます。

高校生:いい子やーめた!バイトと遊びにあけくれる

家からバスで20分。
普通レベルの市内の高校に進学。

高校に進学すると、一気に生徒の人数が増えました。
田舎育ちの私は、いわゆる高校デビューを果たします。

まじめにやってきたストレスが、一気に爆発。
グレます…。


でも警察のお世話になることはありませんでした。
マジメに働く両親の背中を見ていたおかげで、ギリギリのところで踏みとどまることができていました。

当時は、遊ぶこと・お化粧・おしゃれのことしか考えていませんでした。
プリクラに、一体いくらつぎ込んだのでしょう…。

もちろん遊ぶにはお金が必要です。
親が出してくれたのは携帯代のみ。
部活なんて興味はなく、バイトバイトの日々でした。
観光地らしく、布団敷きや観光施設の売店のアルバイトを3年間していました。

バイトでは、同世代の違う学校のお友達や、ふだん関わることのない先輩など交友関係が広がりました。
一緒に働いていた同じ年の女の子が、とても仕事ができる子。
その子に刺激を受け、どうしたら早くキレイにできるかなど、作業の効率化を考えながら働く経験ができました。
夏休みなど長期休暇は、頑張った分だけお給料が増えるのが、楽しみでした。

勉強も一切しなくなり、成績も出席日数も進級・卒業ギリギリ。

とにかく勉強したくない。
遊びたい。おかねほしい。

専門学校も大学も進学する気は1ミリもなく。
なんとかギリギリ高校を卒業して、すぐに就職します。

イヤなこと・面倒なことから逃げていた自分に深く後悔しています。
親は相変わらず忙しく放任主義でした。門限もなく外泊も自由。
駅まで迎えにきてくれたり、門限がある友達がうらやましかった。
両親はいつも忙しそうで、いつも疲れていました。

18才~22才:ダメンズホイホイ爆誕→借金

料理やお菓子作りが好きだったこともあり、パティシエとしてホテルに就職。
昭和気質の職人さんの言動に、落ち込むことも多く、精神的にシンドイ日々がつづきます。

プライベートは充実していたかったところですが、
恋愛では、ダメンズばかりを引き寄せていました…。

19歳の誕生日を迎える前のこと。

地方ですので、マイカーは必須。
当時、お付き合いしていた彼は9つ年上。
彼のお友達の中古車屋さんで、軽自動車を買うことになりました。
大人の男性は知識が豊富で頼もしい♡と思っていた当時の私。

ところがどっこい。
この彼が私の人生の反面教師となります。

結論からいうと、彼は”お金と女性に超絶ダラしない人”でした。

記念すべき人生はじめての車を180万円で購入した私は、なぜか230万円のローンを組みました。差額50万…そう、その50万円は彼が現金で持っていったのです(爆)

お友達の店ということもあり、そういうことができたのでしょうか…。
詳しい仕組みはわからないのですが、とりあえず当時の自分がバカすぎて泣けてきます。

車の借金以外にも彼の「お金かして♡」は続くのでした…。

・財布をおとした
・給料がもらえない
・後輩が困っているので貸した

色々な設定を持ち出しては、お金をせびってきます。
財布何個目?ってくらい財布おとしてましたね。

今思えばあからさまなウソですが、当時は信じていました。
「彼が大変!私が支えなきゃ♡」
脳ミソがバグってました。


常にお金の心配と電話にでない彼のことを考える不安定な毎日。
会いたくて会いたくて震えていました。

メンタルはボロボロでしたが、この経験でお金の流れを記録するという習慣を身につけます。

貸したお金と、たまに返してくれるお金も記録!きろく!キロク!

そもそも自分はいくらのお金があって、いくら使っているのかも記録するようになりました。

最終的には、たび重なる浮気で別れます。
お金のトラブルに、女性のトラブル。
身も心もお財布もボロボロでした。

このお付き合いがきっかけで、お金が招く人生の不幸を痛感。
借金も、ウソツキももうイヤだーーーー!
出会った時に、信じていい人か慎重に観察するクセがつきました。
また、ローンについての知識や、下調べする力がないことも反省…。
お金の問題は、人格に影響をあたえ、ストレスしかない生活になることを学ぶ。

22才~26才:おそい青春。団結と相乗効果

その後も、恋愛はうまくいきませんでした。
付き合ってみたら既婚者だったなど、もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対、
なんて絶対言えない心境でした。

なつき

男なんてもういいわ!
私にはもう仕事しかないんだ…
自分のためにがんばる!

怒鳴られてばかりだったパティシエにも疲れて退職済み。
職業訓練所で失業保険をもらいながら、エクセルとワード2級の資格をゲット。
タイピングもここで猛特訓。
昔からがんばることから逃げていた人生だったので、勉強して資格を取れたことは自信につながりました。

そしてカーディーラーに契約社員として中途採用が決まります。
受付や経理やイベント企画など、様々な業務を経験させてもらいました。
同僚や先輩が、要領のわるい私を本当によくフォローしてくれました。
私も自分ができることを見つけて、積極的に取り組み、みんなの役に立ちたいと思う一心でがんばりました。

グータラな学生時代をすごした私にとって、この職場は青春でした。
心地よい店舗を目指すためスタッフが一丸となり、それぞれができることを一生懸命に取り組んでいました。

1年後、店舗を改善するためのアイディアや取り組みが評価され、私は会社初の契約社員から正社員への登用が決まります。みんなも喜んでくれました。
遊ぶことばかり考えて、挑戦すらしてこなかった人間が「私でもやればできるんだ」と思った瞬間でした

同じころ、無駄に多く組んでしまった車のローンも無事完済!(やった!)

このころは実家から職場へ通ってました。
小さい頃はさみしさもありましたが、社会人になり働くことの大変さや楽しさがわかり、ずっと働いてきてくれた両親への感謝のキモチが大きくなりました両親の負担が減るように家事は私が担当。将来は、両親の面倒をみつつ、このまま独身でいるのもありかなと思っていたころ…

27才~36才:結婚・出産・子育て

友人の親の紹介で、今の夫と出会います。
友達関係が1年、お付き合い1年で結婚。結婚と同時にカーディーラーは退職。

誠実という言葉は彼のためにあるのでは?と思うくらい、まっすぐな彼。
幸せにしてほしいというより、この人となら不幸が起きても一緒に乗り越えていけると直感。とんとん拍子に結婚しました。

が、しかし。
結婚後、キャッシングが発覚…。
まっすぐな性格だったけどキャッシングしてた。
総額10万円ほどでしたが、私へのプレゼントもキャッシングで買ってた(笑)

どうにかしないと!
夫も、あればあるだけ使ってしまうタイプだと発覚。
私がやるしかない!
お金の使い方を間違えると不幸になることを私は知ってる!
お金の問題は、心がすさんでしまう!
安定でいきましょうよ~。

ここから本格的に家計管理に目覚めます。

子育て:在宅で稼ぎたい!副業は失敗の連続

結婚後すぐに妊娠。
2013年長女出産。
2016年次女出産。
社宅に住んでいましたが、子供をのびのび育てたくてマイホームを購入。
35年ローン…。な、なんとかなるでしょ…?
(ああ…、そろそろ住宅ローンの控除なくなる…)

妊娠中は時間があったので、FP(ファイナンシャルプランナー)さんに家計診断をしてもらったり、保険を見直したり、家計管理について勉強しました。

お金をためる方法は、収入を増やすか、支出を減らすかのどちらかです。
節約も大事だけど、限界があります。

収入を増やすには、私が働くしかないか…。
とはいえ、さみしい想いをした幼少期。
なるべく子どもと一緒にいたかった私は、色んな在宅ワークを模索します。

2016年~ハンドメイド作品をメルカリで売る(制作作業に疲弊)
2018年~アメブロで節約ブログ・インスタを始める(3か月で挫折)
2019年~インスタのダイエットアカウントはじめる(10キロ痩せに成功したが収益化につながらず)
2020年~ハンドメイドを実店舗で販売(制作作業に疲弊)
2021年~ワードプレスでブログをはじめる(収益化につながらず)

どれも続きませんでした。
もちろん安定収入にもつながりません。
結局、2018年からパートで外で働くことに。

本当はおうちで働きたかったけど、ゼロからの稼ぎ方がわかりませんでした。
あふれる情報に、わかった気になるが実際やってみると結局できない…。
自分の理想とは違う生活を送ることになります。

あれ…?私、母と同じく子供にさみしい思いさせているんじゃ…?

パート:しんどい。みんなどうしてるの?

朝6時に起きて家族4人の弁当と朝ごはんをつくる。
朝食の片づけや、自分と子どもの身支度をして、子供を連れて8時に家をでる。
幼稚園に送っていき、8時45分にパート先へ。

9時から14時半までの経理事務。
いい人もいるが、となりの席の気性の荒い女上司にいつもビクビク。
仕事内容は好きだけど、人間関係にお疲れ気味です。

会計事務所で勤めているため、いろいろな会社の中身や事情をみてきました。
雇われる側の給料の限界・コロナで持ちこたえられなかった会社・やる気がない店にジャブジャブ支払われる補助金・予想外の不祥事で突然の廃業・行き場を失った従業員・ギャンブル依存症の従業員の横領事件・やりたいだけではじめたビジネスの末路など、企業や社会・人間の不安定さや闇を目の当たりにしました

それと同時に、素晴らしい経営理念がある・社会貢献をしている・従業員にとにかく還元して安定した経営を長年続けるなど、尊敬する企業もたくさんあり、起業にあこがれを抱くきっかけにもなりました。

15時、子供のお迎え。
買い物、幼稚園の荷物をかたづけ、洗濯、部屋のそうじ、風呂掃除、ごはんしたく、夕食、お風呂、ちゃわんあらい、寝る支度…。
やることがいっぱいの中、ママ、ママと何度も呼んでくる子供たちにイライラ…。
やっと寝た寝顔をみて「今日もまたくだらないことで怒ってしまった」と自己嫌悪。

そもそも無事に家を出発できたらまだいいほうだ。
・家を出る瞬間の「ウンチしたい」
・突然の発熱。感染病。
・悪天候での休園。
・コロナ
・ミサイル
・地震…
なんど、会社を突然やすみ・遅刻・早退して迷惑をかけたのだろう。

時間の余裕も、心の余裕もない…
こんなハズじゃなかった。

私は、仕事も家事も子育てもすべてが中途半端だ…。
母を責める資格など到底ない。
そんなバタバタしている毎日の中、健診で卵巣腫瘍が見つかります。

36才~:「手術できる先生に担当を変えますね」

毎年うけている婦人科健診。
診察台の上で、いつも何もないので今回もなにもないだろうと思っていたその時。
先生が「…卵巣が大きく腫れてますね。」と、ひとこと。

心臓がヒュッとなり、頭がしびれるような衝撃を感じました。

診察室にもどると「私はできないので、手術できる先生に担当かえますね」と、先生。
え?手術しないとだめなの?卵巣とるの?悪いものなの?
パニックでした。

そこからは、いろんな検査です。
子宮内膜症も併発し、癒着していてすぐに手術は無理とのこと。
薬を2か月服用し、癒着の改善後の入院手術となりました。

腫瘍は良性で、無事手術もおわり現在は元気です。

あしたやろうはバカやろう

手術を伴う入院期間は1週間でした。

全身麻酔の直前には
「私、ちゃんと目が覚めるのかな…」
「悪いものだったらどうしよう…」
人生ではじめて死への恐怖を感じました。

同時に、夫や子どもたち、家族を大切にできているのか?今私が死んだら何に後悔するのか?いろいろな疑問が浮かびます。

全身麻酔がきれて無事に目が覚めました。
術後の痛みにもだえながら、元気に起きれる朝は普通ではなく幸せなことだと実感。元気なときにがんばらないで、いつがんばるの?元気な時間は無限ではない。元気なうちに、自力で稼ぐ基盤を身につけて大切なひとを守る!と決意

入院中は時間がたくさんありました。
本当は自分はどう生きたいのか?家族や周り方になにができるのか?
真剣に残りの人生と向き合います。

・子どもともっと”楽しい”時間をすごしたい
・キレイで整ったおうちで、おいしいものを食べさせたい
・社会情勢や会社都合に振り回されない、自分でゼロから稼ぐスキルを身につけたい
・家族の急なトラブルに、誰にも迷惑をかけずに対応したい
・同じ悩みをもつ女性の力になりたい

やっぱり家で働きたい!
通勤時間の往復30分もキッチリ決まってる昼休み1時間も、もったいない。
その時間に家事を済ませ、家族にかける時間を増やせるハズ。
元気に生きている時間は貴重だ。もっと有効に使いたい。

なつき

でもわたし、副業チャレンジしてさんざん失敗してるんだよな…

きっかけ:結局、Webマーケティング

入院中、入会したけど全然見れてなかった、とあるオンラインサロンの動画を視聴していた。
成功のための考え方や、お金、Webマーケティングをわかりやすく教えてくれる内容。
なるほどな~とわかったつもりで聞いていたが、私はあることに気づく。

「今まで副業がうまくいかなかったワケはWEBマーケティングを理解してないからだ…!」
ハンドメイドを売る場所はWEB上。
インスタにアメブロにワードプレス…全部WEB上の活動だ。
WEB上に店を構えることは簡単にできます。
大切なことは、そのあとです。

問題は”そこに人が来ないこと、人を集める手段を知らないこと”なんだ!
WEBマーケティングをもっと知りたい!
集客を学び実践できたら、どんなビジネスでも成功する!という確信が持てました。

そして、なにより私はWEBマーケティングの先生の話の面白さに惹きつけられます。
WEBマーケティング以外の話でも、常に瞬時に相手の気持ちを汲み取り、わかりやすい言葉で説明してくれる姿に興味深々。どうしたらこんな人間になれるのだろう。
この先生から習いたい!!絶対この先生がいいーー!!

残念ながら、先生はその時スクールをやっていませんでした。

【決意】あなたはもう大切なもの見つけてるよ

2023年春。
あこがれていた先生がWEBマーケティングスクールを開講するとの情報がはいりました。
迷いはありません。

即入学を決め、現在に至ります。

スクールに入学する前に、オンラインサロン主催者の女性とオンライン上でお話する機会に恵まれました。
私は、自分の中で引っかかっていた悩みを彼女に相談しました。

「家族のために在宅で働きたいことは、自己中心的な気がしてこのままでいいのか迷いがある」と。

彼女は言いました。
「大丈夫だよ!あなたはもう大切なもの、軸を見つけてるよ!あとは目的に向かう手段を考えるだけだよ。なつきちゃん、がんばって♡」

この言葉に私は覚悟を決めました。
目的に向かう手段はWEBマーケティングです。ゼロから学んで、家族のサポートをしやすい環境で自力で稼げるようになる!

そしてこのやりとりを見ていた女性が声をかけてくれました。
「私も同じ理由で悩むことがあったので、今の質問と回答に勇気をもらいました!ありがとうございました。」と。

家族のサポートをしながら働きやすい環境を整えたい女性が多くいます。
でも、みんなゼロから収入を得る方法がわからない。
私が、WEBマーケティングをゼロから学び、その過程や方法を発信することで、働き方と家族のはざまで揺れる多くの女性の悩みを解決することができるのではないか?

家族と仕事で身動きとりづらい女性の悩みを解決したい!そのためには、まずは私がゼロからのWEBマーケティングスキルを身につけて理想の生活を実現します。

1年後、自宅で月収10万円。
2年後には扶養を外れても損しない月収20万を達成します。

スクールで学んだことを、このブログに記録していきます。
目標を達成できるか、お付き合いいただけると嬉しいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

2023.5.25 なつき